暮らし

バーミヤンを弄んだ

東西

僕は大阪の人間です。ずっと西で生きています。

あれは中学二年のときです。僕のクラスに東京から転校生がやってきました。

僕の中学は大阪の汚い公立でしたので、東京からの転校生というコンテンツに大騒ぎです。その転校生がイケメンだったことが、喧噪に拍車をかけていました。

 

一方で、当時の僕の心には東京人に対する敵対意識が確かに存在していました。

関西にお住まいの方は理解していたただけるかと思いますが、関西のローカル番組は、関西、とりわけ大阪のプロパガンダを熱心に放送しています。それは東京に対するネガキャンと常にセットのものでした。

関東の人間は冷たい

関西の人間は暖かい

メディアの影響力は大きく、当時の僕に歪な郷土愛を与えました。

 

その転校生は、しかし、僕の東京に対する偏見を払拭する程に“いいやつ”でした。僕が関西人の特権だと信じて疑わなかった“人間的暖かさ”を充分すぎるほど持っていたのです。

いつしか僕らの関係は親友と呼べるものになっていきます。僕は彼のことを親しみを込めて「しんちゃん」と呼ぶようになりました。

 

三年生になり、僕としんちゃんは当たり前のように同じクラスになりました。そして、修学旅行という大イベントがやってきます。

あれは確か修学旅行最終日だったと思います。僕らのグループはうどん屋に昼食をとりに行きました。

そのうどん屋は、いわゆる“天かす入れ放題”のお店で、「ちょっとデカすぎるんじゃないの」という天かすの容器がカウンターに置かれていました。飢えた男子中学生の僕らは狂ったようにうどんに天かすを入れます。やがて、出汁の水面が見えなくなりました。

しかし、しんちゃんのうどんだけは、水面がきれいなままです。

僕は店のルールをわかっていないのではないかと思い、

「天かす、入れへんの」

と訊きました。

しんちゃんは不思議そうな顔をするばかりです。今度は少し強めの口調で、件のデカい天かす入れを指さしながら

「天かす!入れへんの?タダやで」

と言いました。

 すると、しんちゃんは合点がいった様子で

 

「ああ!これ天かすって呼ぶの?俺は“あげだま”っていうけどなー」

 

と答えたのです。

そこには何の意図もなかったと思います。彼は事実を述べただけだったのでしょう。

ただ、その言葉は、僕に大きすぎる打撃を与えました。

 

しんちゃんと僕らが仲良くなった理由として、東京という異文化に触れるのが面白かったということがあります。彼は、東京じぶんを卑下することなく、また大阪ぼくらを見下して居丈高になることもなく、両者の差異を面白く話してくれました。

そのことが、関西は関東より優れているという僕の誤った認識を矯正してくれたのです。東西に優劣はない、と。

 

しかし、天かす/あげだまの差異は、東西の文化的優劣を、残酷なまでに表していました。

かたや、曲がりなりにも食品であるものに「カス」と名をつけ、その「カス」を元の料理の味がわからなくなるほど大量に入れる大阪ぼくらと、「あげだま」という上品な中にもどこかかわいらしさのある呼び名を使い、無料といえどもそれを貪るようなことはしない東京かれら。どうしてここに優劣がないといえるでしょう。

みんなは笑っていました。それは、僕らの仲良しグループで幾度も見た光景――東西の差をネタにした談笑でした。けれどもその時僕は、“負け”を悟ったのです。

本当は、わかっていたのです。東京は首都で大阪は首都ではなく、東大は京大よりも偏差値が高く、ディズニーはユニバよりも来場者が多いのです。だけど、認めたくなかったのです。

そういう東に対するルサンチマンが、“あげだま”を機に燃え上がり、同時に灰となったのです。

 

今になって考えると、「僕」対「しんちゃん」の差異を「西」対「東」の優劣に拡大解釈しただけなのかもしれません。しんちゃんに対して抱いた劣等感を大阪に押し付けただけなのかもしれません。

地域間に絶対的な優劣は存在しないし、それを論ずること自体が無益であるという正論も今ではよく脳になじみます。

 

ただ、 当時の僕の心が、15歳の僕の自意識が、東の文化に蹂躙されたことを、時々、思い出すのです。